しがない若者の人生終了日記

遺書代わりに日記を書いています。

「あの頃はよかった」という言葉についての仮説

中学生は「小学生の頃は良かった」、高校生は「中学生の頃は良かった」、大学生は「高校生の頃は良かった」、社会人は「学生の頃は良かった」、定年退職者は「働いていた頃は良かった」みたいなことを考えているというようなネタがあります。

 

このネタについて、解釈の1つには思い出補正がかかっていて、過去は美化されるという説がありますが、大いにそれはあると思います。しかしもう1つ、実際に人生は段々楽しくなくなるんじゃないかとも思います。

 

このことは高校時代から考えていたことです。高校時代、授業を受けて、授業が終わったら部活をして、休日はたまに友達と遊んでというような単純かつ完成された生活に満足していました。

 

しかしながら、高校というのはあくまでも次のステップ(就職・進学)へ進むための中継地点でしかないです。3年経ったら大学などの高等教育機関へ行くか就職するかしないといけません。

 

私はあまり学びたい学問というのはありませんでしたが、ほとんどの生徒が大学へ行く高校だったこともあり、とりあえずFランの大学へ行きました。大学はあまり面白い場所ではありませんでした。

 

年齢が上がれば上がるほど、自分で出来ることが増えます。ただ、出来ることが増えるということは幸せになることへ直結しないのです。

 

小学校から中学校に入ると部活ができるようになりますが、必ずしも楽しいものではありません。

中学校から高校へ進むとルール上はバイトが出来るようになりますが、バイトというのは特に楽しいものでもありません。

大学は高校と違って自分で受ける授業を選べますが、当たり外れがあることを考えると必ずしもそれが良いとも思いません。

大学生から社会人になれば収入は大幅に増えますが、支出も大幅に増え、プライベートな時間は大幅に減ります。

 

私は自由という言葉が嫌いです。自由には自己責任がついてくること、自由を享受できるのは強者だけであり、弱者は格差に苦しむということが主な要因です。

 

自由は良いことであると社会的には思われていますが、自由というのは本当に良いのでしょうか。